医師、スタッフ紹介医師、スタッフ紹介

医師、スタッフ紹介

【相場進院長・医師】
なんでもすぐにやめてしまう私が唯一続けているのが歯科医の仕事です。

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【相場隆広 副院長・医師】
私には歯科医として大切にしている想いが2つあります。

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【相場砂織 医師】
患者さんが何でもお話できるように心がけています。

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【大藪香織 歯科衛生士・スタッフ統括主任】
たくさんの偶然が重なって、私は今あいば歯科で歯科衛生士として働いています。

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【小笠原素子 歯科衛生士・衛生士主任】
患者さんから「気持ちよかった」「ありがとう」「また来るね」などと言われると、とても嬉しいです。

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【古山沙織 歯科衛生士】
プロフェッショナルな歯科衛生士を目指して初心を忘れず、学ぶ姿勢、相手を思いやる気持ちを大切にしたいです。

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【三浦郁恵 歯科技工士・技工士主任】
あいば歯科では、毎朝の朝礼で物事を良い方向で考えるクセをつける練習を行っています。

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【進藤綾子 歯科技工士】
私は子供の頃から手芸や工作が好きで、物を作る仕事をしたいと思い歯科技工士になりました。

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【佐藤めぐみ 受付・受付主任】
私は、あいば歯科に訪れた患者さんが一番初めに出会う受付の仕事をしています。

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【斎藤律子 アシスタント・アシスタント主任】
自分に与えられた仕事には責任感を持って取り組んでいます。

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【池田佳恵 アシスタント】
分からないことだらけの日々ですがいろいろなことにチャレンジしていきたいです。

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相場進 院長・医師

相場進 院長・医師

【経歴】

秋田高校 昭和33年(入学)〜
昭和36年(卒業)
日本歯科大学 昭和37年(入学)〜
昭和43年(卒業)
東京医科大学
口腔外科
昭和43年(入学)〜
昭和45年(卒業)
秋田鉄道病院 昭和45年(勤務開始)〜
昭和50年(退社)
あいば歯科医院 昭和50年(勤務開始)〜

多趣味は無趣味と似たりとよく言われますが、私は全くの多趣味でして、何にでも興味を持ってしまいます。しかし、しばらくしてそれが自分に合わないと気づくとすぐにやめてしまいます。人に言わせるとお前は飽きっぽいとなります。

しかし、実はそうではなく、本当に自分に有ったものを見いだせずにいるだけなのです。
その中で唯一続いているのが、歯科医療です。これは飽きずにやっております。今後も続きます。

他の趣味といいますと、釣りが好きでした。自然のまっただ中に入り込む渓流釣り、鮎釣りは長く続きました。最近は危険なのと体力の関係でやめております。

今では、いつまでたっても上達しない英語学習と穏やかな川や湖沼のカヤックをやるようになりました。これは気持ちのよいものです。それと最近のことですが、バラの手入れが好きになりました。バラの庭にしようと思っています。次第に穏やかなことがよくなっているのでしょう。

年齢とともに人間のことが少しづつ解るようになりそれに伴って楽しみも増してきているようです。

相場隆広 副院長・医師

相場隆広 副院長・医師

【経歴】

函館ラサール高等学校 昭和63年(入学)〜
平成2年(卒業)
岩手医科大学歯学部 平成4年(入学)〜
平成10年(卒業)
秋田大学医学部付属
病院歯科口腔外科
平成10年(勤務開始)〜
平成14年(退社)
あいば歯科医院 平成14年(勤務開始)〜

 

【所属学会】
頭頸部がん学会
日本口腔外科学会
日本口腔インプラント学会

スタディーグループ
一水会 会長

私には歯科医として大切にしている想いが2つあります。
1つ目は患者さんが「恐い」と感じない歯医者であること。2つ目は患者さんの治療後の生活をいかによくできるかを考えながら治療を行うということです。
このように考えるようになったのには、きっかけがあります。少し長くなってしまいますが、読んでいただけたら嬉しいです。

私は祖父の代から続く歯医者の家に長男として生まれました。まわりの大人達が当然のように私が跡を継ぐものだと思っている、子供ながらにそういう空気を感じ、それがとても嫌で、精いっぱい、抵抗しました。特別なりたい職業があったわけではありませんが、子供の頃はとにかく歯医者以外の職業に就こうと思っていました。

そんな私が、初めて歯医者になろうと思ったのは、高校生の時です。私は親元を離れ函館の学校に通っていました。その頃はバスケットボールに夢中でした。しかし、バスケットボールのプレー中に他の選手とぶつかって歯を折ってしまったのです。ものすごく痛くて、どうして良いか分からずとても不安でした。もちろん歯を折ったのは初めての経験だったし、それどころか、私はそれまで一度も虫歯にすらなったことがなかったため、歯の治療がどういうものか全くイメージできなかったのです。とにかく歯医者に治療されることが恐くてしかたありませんでした。

そして、そんな時に頼ったのはやはり父でした。秋田の父に電話で相談したら、5分後にはこういう歯科医がいるからそこ行きなさい、連絡はしてあるから。という連絡をくれました。それだけでなんだか父を尊敬してしまいました。私がいうのもなんですが、父は非常に勉強家です。勉強のために学会に行った時に、県外の医師とも交流があったそうです。そういう仲間の中に函館の歯科医がいて父が連絡してくれたので、そこに行きました。その時に処置していただいた先生が上手い先生だったので、治療自体は、痛いということはありませんでした。でも私にとっては生まれて初めての治療体験なので、上手いかどうかなんて分かりませんでした。ただひたすら、怖い。それだけです。そのときに、「この怖いという感覚良くないな」と感じました。怖いと思わせているのが何かは分かりませんでしたが、いいことではないな、と思ったのです。同時に、もしも自分の実家であるあいば歯科が、そう思わせていたらいやだな、と思いました。

そして、その時の出来事がきっかけとなって、あんなに嫌だった歯医者になろうと思うようになりました。患者さん恐くない歯医者を作りたいという想いは高校生の頃から今も変わらず持ち続けています。

歯医者になるときめた後、それまでバスケットボールばかりしていた私は、必死で受験勉強をしました。そして2年間の勉強の末、岩手医科大学の歯学部に入学が決まりました。大学生になり、医学や歯学の講義が始まると、私はこれこそ勉強したかったことだと、本当に心の底から感じました。細胞の不思議、人体の不思議、生命の不思議、これらに関わることのできる自分を誇りに思いました。どんな些細な疑問も残さず教授に質問し、図書館で調べ、先輩に聞き、生き生きと楽しみながら勉強にのめり込みました。

大学卒業後は、当時「入れ歯治療日本一」といわれた教授がいる岩手医大に、大学院生として入局しました。ここでは、良い入れ歯を入れたら歯以外の病気が良くなった、というような大変貴重な勉強をさせていただきました。

こうして学生時代を終えた私は、秋田大学付属病院の口腔外科に、研修医として受け入れていただきました。今度は入れ歯の歯医者ではなく、がん治療から骨折治療、形成外科的整容医療、インプラント治療まで行う外科医としての修行をすることになりました。一人の患者さんをチームとして支える、職人としての歯科医ではなく、医者という仕事をはじめて根本から理解した場所であったかもしれません。重症の患者さんを診る病棟に勤務して、大きな手術にも参加しました。医学部の麻酔科にも勤務し、自身で麻酔をかけることができるようになったことは今でも大変役にたっています。


そして、この病院で私は、私の歯科医としてのその後の生き方に大きな影響を与えてくれる1人の患者さんに出会いました。その患者さんは口腔がんの患者さんで、奥歯の周辺のがんが他の場所にも転移していました。入院されていて当然手術もされました。手術はひとまず成功。しかし、がんを切り取ったら終わりというわけではなく、現実には「手術が上手くいって良かったね」とはなりませんでした。その患者さんにとっては、普通の生活に戻って初めて良かったと思えるわけで、手術が終わっただけでは治っていないのと同じことだったのです。結局その患者さんはその後も4ヶ月くらい入院されて、無事にがんが治りました。そして、いよいよ退院される日に、本当にうれしそうないい笑顔で、私のところに挨拶をしにきてくれたのです。そのときに患者さんがおっしゃった「また普通に元の会社にもいける」「入院する前と同じように社会復帰ができる」という言葉を聞いて、「あぁ、そうかこれが患者さんの本当の気持ちなんだ」と感じました。その人にとって一番良い状態で社会復帰できることを患者さんたちはみんな望んでいるんだと。このときに、こういう患者さんとの関係って気持ち良いなと、こういう風に思われる歯科医になりたいなと思うようになりました。その経験をきっかけに、私は歯科医として患者さんの治療後の生活をいかによくできるかと考えるようになりました。

研修医としての経験を積んだ私は、秋田労災病院で、外科医が一人で受け持つ手術数としては日本一という、多忙を極めた生活を送っていたのですが、なんとか頑張れたのもその患者さんとの出来事があったからだと思います。

こうして口腔外科としての経験を積んだ後、私は実家であるあいば歯科に帰ってきました。
ここでも、患者さんの治療後の生活を考えられる歯医者を目指して経験と勉強を重ねました。特に、海外で発表された新しい論文には必ず目を通していました。
そして、その中に、1日インプラント治療の論文があったのです。論文を読んで運命的なものを感じた私は、開発者であるマロ先生直伝のトレーニングを受けるためにポルトガルに行きました。
そして、実際にトレーニングを受けてみて自分の直感は間違っていなかったと確信しました。私が今まで研究してきた入れ歯の経験と、外科医としての経験とが、ガッチリとつながったのです。まるで、神様に、1日インプラントをやるために今までいろいろなところで研修をさせてあげたのだよ、といわれているような感じまでしたものです。


そして、この方法なら、入れ歯からインプラントにしたいけど今まで体に負担がかかるからインプラントにできなかった患者さんや、総入れ歯にするのは抵抗があるけど全ての歯をインプラントにするのは金銭的に難しかった患者さんに喜んでもらえる。この治療は患者さんの治療後の生活をよりよくできる治療だと確信しました。


日本に戻った私は、すぐに医院の体制を整えてすこしづつ1日インプラント治療を始めました。1日インプラントの治療が終わり、美しい歯が入るとき、皆さん本当にすばらしいお顔で微笑まれます。涙ぐむ方もいらっしゃいます。そのようなことを、私たちのチームで成し遂げることができることを本当に誇りに思うとともに、本当にありがたく思います。

これからも、こういう患者さんとの関係をつづけられたらいいなと思っています。

相場砂織 医師

相場砂織 医師

【経歴】

盛岡第二高等学校 平成1年(入学)〜
平成3年(卒業)
岩手医科大学歯学部 平成3年(入学)〜
平成9年(卒業)
岩手県立中央病院
歯科口腔外科
平成9年(勤務開始)〜
平成10年(退社)
岩手医科大学
小児歯科学講座
平成10年(入学)〜
平成11年(卒業)
中通歯科診療所 平成11(勤務開始)〜
平成13年(退社)
あいば歯科医院 平成14年(勤務開始)〜
隆広先生の妻であり、9歳、6歳、3歳の3人の子供の母です。
歯科医師としての仕事と、家庭のことに追われいっぱいいっぱいといった感じなのですが、さらに、ガーデニング、ステンドグラス、パッチワークなど、趣味もたくさんあります。
毎日やることがたくさんあるのですが、「寝る間を惜しんで」という訳ではなく睡眠時間もしっかり取りたい私は、「もっと一日が長ければいいのになあ」といつも思っています。
あいば歯科では、女医ということでお子様を担当することが多いのですが、いつも思うことがあります。
それは、「あいば歯科に来たら、これからはもう、絶対にむしばにしない」
ということです。

乳歯が虫歯でもあきらめないで。
きちんとした治療と、毎日のケアで大人の歯、永久歯は虫歯にしないことができるのです。

お子様に限らず、歯医者に行くのは敬遠されがちですが、皆さんが何でもお話しできる雰囲気でコミュニケーションがとれるよう心がけています。
そして、皆さんがあいば歯科に行くのを楽しみにしていただけるような場所でありたいと思います。

大藪香織 歯科衛生士・スタッフ統括主任

大藪香織 歯科衛生士・スタッフ統括主任

今の自分があるのは色々な偶然が重なってあるのだと思います。1つ1つの偶然があり成り立っているのだと考えました。 あの時、もし違う選択をしていたら全く違う人生を歩んでいた。
しかし、こちらを選んでいるからこそ今の自分がある。それはもしかして偶然なことではなく必然だったのかもしれません。


私が今、こうして歯科衛生士となり働いているのにも色々な偶然ときっかけがあります。 一番目は白衣を着たかった。2番目は資格をとりたかった。3番目は親のすすめ。4番目は当時歯医者に通っていた。今思えばとても単純だったなと思います。 けれどもこれが今の楽しい人生の原点だと思うと自分の選択は間違ってなかった。自分が深く考える性格でなくてよかったなあ、と思います。 そして今、あいば歯科で働けているのもたくさんの偶然のおかげです。

就職したきっかけ、素敵な仲間との出会い、家族の支えがあり 今、私はここにいられるんだと思うととても感謝です。 私の人生は偶然が偶然をよんで、どんどんつながっていく。 自分で無理にかえるのではなく偶然に導かれて進んでゆく。

これが私らしい人生だと思います。これから先もそうやって生きていけたら私は幸せだと思います。

小笠原素子 歯科衛生士・衛生士主任

小笠原素子 歯科衛生士・衛生士主任

歯科衛生士、それは、中学校の時に決めた私の夢です。それまでは、小さい子供が好きだったので保育士になりたいと思っていました。
子供の面倒を見るのが好きで、学校が終わると
ランドセルを背負ったまま近所の子の家に行き、よく遊びにいっていました。

中学校に入学し、初めて歯科衛生士という職業を知りました。最初は、歯科衛生士って何だろう?という疑問から始まり、歯医者のお姉さんの仕事だと知ったその頃から興味を持つ様になりました。次第に興味から夢に変わり、高校では、その夢に近づくために、三年間一度も欠席することなく努力をし、専門学校に合格することが出来ました。

専門学校では、国家資格だけではなく、ホームヘルパー2級も取得し、歯科衛生士として初めてあいば歯科医院に就職しました。最初は覚える事に必死で、不安でいっぱいで自信を失くした事もありました。少しずつではありますが、仕事を覚え、いろいろと自分で出来る様になってくると、仕事が楽しくなり、患者さんから「気持ちよかった」「ありがとう」「また来るね」などと言われると、とても嬉しく、この夢を諦めなくて良かった、と思います。

10年後、20年後、私は何をしているのかは分かりませんが、この仕事は、家庭を持っても続けられる仕事ですし、これからも多くの方の笑顔を見たいので、まだまだ私自身も成長し続けたいと思います。

古山沙織 歯科衛生士

古山沙織 歯科衛生士

私は、小さい頃からワンパクでチューリップの歌を歌いながらチューリップを摘んだり、男の子に混じって秘密基地を作ったりと外で遊ぶことが大好きな女の子でした。
みんなから愛されて、何不自由なく生活をしてきましたが、将来はあんな仕事やこんな仕事をしたいなと強く思うような夢はなく、ただなんとなくOLで働いて、何年かしたら結婚して出産して…というような漠然としたことしか考えていませんでした。

歯科衛生士として働きたいと思ったきっかけは、高卒で歯科助手として働いていた時です。あまり歯学のこともわからない、患者さんから質問されたこともろくに説明ができない、仕事の内容も限られるその中での自分の仕事内容に不満と物足りなさを感じたのです。

社会人から学生に戻ることに不安はありませんでした。ただ、もっと歯について知りたい、患者さんに上手に説明できるようになりたいと思う気持ちで頑張ってくることができました。

「何かを極めること」それは簡単なことではありませんが、これからはプロフェッショナルな歯科衛生士を目指して初心の気持ちを忘れず、学ぶ姿勢、相手を思いやる気持ちを大切に、これからも歯科衛生士として精進していきたいと思います。

三浦郁恵 歯科技工士・技工士主任

三浦郁恵 歯科技工士・技工士主任

私は「考える」という事が好きです。どうしてこうなの?なぜそうなったの?と、真面目なことから、どうでもいい、くだらないことまで、様々なことを考えています。

子供のころ、学校での発表会や、人前で発言するという事が苦手で、いつも一歩ひいた場所から周囲を観察したり、自分の中で答えを見付けたりしていて、なかなか人に伝えることが出来ずにいた気がします。

子供のころの一歩ひいてしまうクセが、今の「考える」ことのきっかけになったと思いますが、人前での発言が苦手という部分については、現在毎朝の朝礼で行っている「good & new」のおかげで、少しずつ改善されてきたような気がします。「good & new」とは、1日の良かった事、新しい事を、どんな事でもいいので1つ発表し、物事を良い方向で考えるクセをつけるという目的で行っているものですが、その毎日の発表で、少しずつ発言することに慣れてきた気がします。

私には子供がいます。子供が生まれてから、特によく考えるようになったのは教育のことです。最近毎日のようにニュースで見かける異常な犯罪、政治家や地位のある方々のありえない失言、モンスターペアレント…そうゆうのは全て教育の未熟さが原因だとおもうんです。何かの番組でタレントの美輪明宏さんが、「今の日本人は想像力が足りない。それをやったらどうなるか、という事を想像できないから簡単に犯罪を犯してしまう」と言っていました。確かにその通りだと思いました。そして、その想像力を養うには、いろいろな考え方を知る事が大切で、つまり、より多くの人の意見を意味違うことなく聞けること、まがった考え方をしない事が重要かなと思います。
そのためには、親や家族が愛情をたっぷり注いであげること。日本語もわからないうちから外国語を習わせるということよりも、まずは正しい日本語を。その日本語でいろいろな事の意味を教え、考えさせてあげること。そういう事が理想だと思います。

今の私は、残念ながらその理想どおりに出来ていません。毎日の仕事に追われてしまい、電話で「オヤスミ」をする日もしばしば…。一生懸命に仕事をする姿を見せるのも、悪いこととは思いませんが、子供や家族との時間を増やし、大切にしていければと思います。一人前の母親になること、それが私のこれからの目標です。

進藤綾子 歯科技工士

進藤綾子 歯科技工士

あいば歯科医院は、私が歯科技工士として初めて就職した医院でした。子供の頃から、手芸や工作が好きだった私は、何か物を作る仕事をしたいと思っていました。歯科技工の仕事の内容自体は「歯を作る」という漠然とした知識しかありませんでしたが、専門的な技術を習得すれば、手に職をつける事ができるし、自分に向いているのではと考えました。

しかし、実際に働き始めるとその仕事の厳しさに直面し何度も挫折しそうになりましたが、なんとか続けることが出来ました。
その後、出産を機に退職し9年間専業主婦として育児に専念していた私に、再びあいば歯科で歯科技工士として働くチャンスを頂きました。大きな不安を抱えての再出発でしたが、家族に支えられこうして自分の場所が持てることに感謝しています。

そして私自身、仕事と家庭の両立に日々奮闘する中で、なかなか自分の時間が持てずにいますが、今は家族と共有する時間を一番大切に思っています。また友達や仲間と、お酒を飲みながら盛り上がることも私のエネルギー源となる大切な時間です。

先々の事を考えると、不安は多々ありますが、子供の健やかな成長を見守りながら、自分自身が少しずつでも成長することで、より良い未来へと繋がってゆくことを信じ願っています。

佐藤めぐみ 受付・受付主任

佐藤めぐみ 受付・受付主任

受付をしています、佐藤です。
私はあいば歯科で働く前に、販売員として働いた経験があります。人と接する仕事で、女性の多い職場で働きたいという思いがありました。

小さい頃から親の仕事の都合で引越しを繰り返していたので、すぐに環境になじむことができずに、ひっこみ思案な子供だったように思います。
そんな私が接客業を選んだことに、きっかけがあったのかはわかりません。それでも販売の仕事を通じて人と接することで学んだことを、今は受付として患者さんとのコミュニケーションに役立てたいと思っています。

入社当時は、慣れないことに戸惑ってばかりで不安を抱えて来院する患者さんの気持ちに気付くことができず、逆に不安にさせてしまっていたのかもしれません。

 

あいば歯科の一員として、一番初めに患者さんとお会いする立場です。日々いろんな方と接することでたくさんのことを気付かされます。

混みあっているときの対応が雑になってしまっていなかったか、お電話を下さった患者さんの気持ちを把握できたのか、毎日自分に問いかけてみます。出来なかったことに対して、言い訳をするのではなく、どうすれば良かったのかを考え少しずつ進化していけるようになることを目標に頑張っています。

これからもたくさんの患者さんとの出会いを楽しみにしています。

斎藤律子 アシスタント・アシスタント主任

斎藤律子 アシスタント・アシスタント主任

私は小さい頃から活発で外で走り回ったりと、男まさりのような、いつも元気な子供でした。
言われた事は必ず守るようなまじめな一面もあります。 そのひとつに、あいさつです。小さい頃から親にあいさつはちゃんとしなさいと厳しくいわれてきました。 小、中でも、もちろん先生にあいさつの大切さを学びました。

そのあいさつから友達もたくさんできました。 社会人になって初めて出社する時の周りの人はどんな人かなぁ? 仕事おぼえられるかなぁ?など心の不安などがありましたが、あいさつからコミュニケーションになり、その中に解け込む事ができました。あいさつの仕方によっても違うなあと感じました。

でも仕事では、その日その日の1日の仕事をおぼえたり、こなすので精一杯で仕事への責任感などなく、ただ過ごしていたような感じがします。

結婚して出産してまた大きな経験をして、これから子供への教育、成人するまで育てていく責任など考えると、自分の行動に責任を持たなきゃなぁと実感させられました。
実際、スタッフも若い子たちが入社して、初出社の時の気持ちを考えてあげられるようになり、少しは気持にも余裕がでてきて言葉をかけてあげられるようになってきた気がします。
仕事も自分にあたえられた仕事は責任をもってはたすようにしています。

いつも心がけているあいさつで仕事も家庭でもコミュニケーションを大切にして、みんな仲良くでき安心して暮らせたらと思います。

池田佳恵 アシスタント

池田佳恵 アシスタント

私は幼い頃から「泣き虫だけど頑固」な子供だったと思います。ちょっとしたことで泣いてしまうのですが、自分に対して意見される事がととにかく嫌いな一面もありました。

基本的な性格は幼い頃から変わっておらず、頑固な所は良い面でも悪い面でも発揮され続けています。そして最近この性格をより実感するようになりました。

特に発揮されるのは興味のある事をしている時。最近はネイルアートや携帯を飾る事に関して人一倍この性格が出ている気がします。「こうしたい」が決まると一直線で、もっとこうしたらどうかと考えるうちに、ついつい自分の時間を使ってしまいます。

こうなると「こうしたらもっといい」などアドバイスをもらえても「自分はこうだから」とせっかくの意見も聞けなくなってしまいます。ここで出てしまう意地、頑固さはこれから先直していかなければならい自分の課題だと思います。また、こうした性格・考え方の他に部活やアルバイト、今の仕事など多くの経験を通じ「やってやれないことはない」ということを学びました。新しい事、知らない事を始めるのは不安でしかないし、どこかで自分はできないと決めつけてしまう事があります。ですがどんな事もやらずにできるわけがないのだからと思えるようになりました。今の仕事はまさにそうだと思います。

まったく知らない世界に自ら飛び込み、分からないことだらけの日々ですが、何かしらできるようになる自分も確実にいます。知りたいこと、手に入れたいもの、チャレンジしたいことがまだたくさんある中でおそれずに多くの事を経験できる人間に成長していきたいです。